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家の変遷

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● 中越沖地震前後の変遷‐1 (家の東から 2001年〜2012年)
 下の写真は東方より撮影した家のパノラマ写真です。一か所から撮影した複数枚の写真をパノラマ合成したものですので、現物より広い印象になります。

【上:2001年 中越沖地震6年前】 中心にある母屋と土蔵(母屋の奥)は築80年以上(推定)、左の木小屋ははさ木(稲架木)や冬囲い用の木材置き場で築50年くらい、右の農具小屋は築50年以上、中央奥の離れは築40年くらいです。

【中:2007年 中越沖地震2か月後】 木小屋は完全倒壊し、通行の邪魔になるので、地震後すぐに土建屋の友人に頼んで解体処分してもらいました。母屋と土蔵はその後友人の知り合いの解体屋に頼んで1か月ほどかけて解体処分してもらいました。格安でやってくれるということで頼みましたがかなり雑な仕事だったようで(私は住んでいなかったのでチェックできませんでした)、コンクリート片や瓦の破片などが敷地内にかなり残っており、その後2年くらいかけて後始末をする羽目になりました。

【下:2011年 中越沖地震4年後】 離れは和室6畳、洋室10畳に流しとトイレがついた小さなものでしたが、これに台所6畳と洗面所1坪、風呂1坪を増設して住めるようにしました。その後、敷地のがれき処理、整地、物置小屋の製作など色々な改善を行い、一応すっきりした状態にすることができました。
 なお、離れの増改築費用は、幸い母が母屋に住宅保険をかけていたのと、国・県からの生活再建支援金が出たので、全額これらで賄うことができました。




2012年9月30日 書斎小屋完成後 (書斎小屋の建築参照)




● 中越沖地震前後の変遷‐2 (敷地北西部から)
 2007年9月2日 解体工事完了後の状態。右の建物が残った離れです(廊下で切断したところをブルーシートで養生)。
 2008年12月1日 離れを増改築して約1年経過後の状態。がれきの後始末に相当な時間と手間がかかりました。
 2011年11月19日 震災4年後の状態。右に物置小屋を建て、家の周辺の整備をしました。




● 中越沖地震の被災状況

 木小屋は見事な倒壊ぶりでした。
 これは、はさ木(稲架木)と冬囲い用の木材(長いものは4,5m)を収納するための小屋でした。
 妻側は長い木材の出し入れができるように両側とも開口していたので、筋交いはなかったと思います。このため写真のように横に倒れました。
 50年前に建てたので地震対策など意識してなかったようです。(2007年7月撮影)
 右は母屋の解体開始後の写真です。左側が「離れ」、奥の屋根が土蔵です。
 1964年の新潟地震と2004年の中越地震には耐えましたが、2007年の中越沖地震では奥座敷の壁に穴が開いたり、写真のように前廊下の屋根が波打って住めない状態になりました。(2007年8月撮影)



 左は土蔵の解体開始時の写真です。母屋はほとんど処分済です。
 土蔵は倒壊しませんでしたが、10度くらい傾き危険な状態でした。中には私が貯め込んだ数千冊の蔵書もありましたが、勤めで忙しいのと危険なこともあり、やむなくすべてゴミとして処理してもらいました。
 左側の建物は母屋から切り離した離れです(廊下で切断してあります。)。(2007年8月撮影)


● 解体直後の母屋と土蔵の跡地 (敷地の北西端から)
 解体工事完了後の敷地の状態です。右の建物が残った離れです(廊下で切断したところをブルーシートで養生)。
 (2007年9月2日撮影)




● 書斎小屋建築前 (敷地の東端から 2011年11月26日撮影)
 パノラマ合成写真のため広く見えます。左が前畑、右端が農具小屋です。手前の石は、屋敷にあった石を集めて駐車場との境界にしたもの。右側の空き地に書斎小屋を建築予定です。


● 書斎小屋竣工直後 (南庭から 2012年9月30日撮影) 書斎小屋の建築参照